企業から内定を受けたとしても、入社予定日(一般的には翌年の4月)までは比較的長い期間が空きますから、企業によってはその期間に様々な経営環境の変化が生じるも考えられます。
このような場合に厄介なのが、内定を受けた企業から入社予定日の繰り下げや採用の延期がなされる場合です。
入社予定日の繰り下げや採用の延期がなされてしまうと、当初の予定に反して入社予定日からの就労ができなくなるわけですから、その繰り下げられた入社時期や延期された入社日までどのように収入を確保すればよいかという点に不安を抱く人も多いのではないかと思われます。
そこで今回は、内定先の企業から入社予定日の繰り下げ(採用延期)がなされた場合の具体的な対処法について考えてみることにいたしましょう。
入社日の繰り下げや採用延期は「会社の都合による休業」と同じ
入社日(入社時期)の繰り下げや採用延期がどのような法律的な効果を生じさせるかという点を考えると、それは「会社の都合による休業」の場合と全く同じになります。
なぜなら、内定者は当初の入社予定日からその内定した会社で働くことを契約しているのですから、その内定を出している会社は内定者に入社予定日以降仕事を提供しなければならない義務を負っていますので、提供しなければならない仕事を提供せずに内定者を「入社時期の繰り下げ(採用延期)」という形で休業状態にさせる行為は、すでに働いている従業員に対する「会社の都合による休業」とその性質が何ら変わりないからです。
会社の都合による入社時期の繰下げや採用延期の場合には当初の入社予定日以降の給与の全額を請求できるのが原則
『会社の都合による休業日、その日の賃金を請求できる?』のページでも解説していますが、使用者(個人事業主も含む)が使用者側の都合によって休業をする場合には、その休業によって休日になったり勤務時間が短縮されたりした労働者は、使用者(個人事業主も含む)に対してその休日になった日数分の給与や短縮された勤務時間にあたる平均賃金の全額の賃金を請求することが出来るのが原則です(民法第536条第2項前段)。
この点、前述したように会社の都合によって入社時期の繰り下げや採用時期の延期がなされた場合も「会社の都合による休業」と同じになりますから、会社の都合による入社時期の繰り下げや採用延期の場合にも、民法536条第2項が適用されることになり、労働者は実際に就労していなくても、当初の入社予定日以降の給料全額の支払いを会社に対して請求できるということになります。
たとえば、会社側の経営上の理由で社内における組織の再編が行われ、当初は4月1日に入社予定であった新入社員の入社時期を5月まで繰下げるというような場合には、その入社時期の繰り下げは会社側の都合と判断されますから、入社予定にしていた新入社員は実際に就労するのが5月1日以降になったとしても、4月1日から4月30日までの給与を会社に対して請求できますし、会社側も4月分の給料を支払わなければならないということになります。
(※ただし、就業規則や内定通知書等に「入社予定日の繰り下げや採用の延期の場合の休業手当は平均賃金の60%とする」などと記載されている場合はその規定が優先されます)
採用時期の繰下げや採用の延期の理由が「原材料の不足」「交通・流通機関のマヒ」「機械の故障や点検」「監督官庁の臨検や調査」など、使用者側に責任のない理由であっても平均賃金の60%は延期期間中の賃金として支払う義務がある
前述したように、会社側の都合で採用時期の繰り下げや入社時期の延期がなされた場合であっても、その原因が使用者(会社・雇い主)側にある場合には、民法536条第2項の規定に従って、内定者は当初の入社予定日以降の給与を請求することが出来ます。
しかし、民法536条第2項の規定を見てもわかるとおり、民法536条第2項の規定では債権者(使用者)の「責めに帰すべき事由」が必要ですから、使用者(会社・雇い主)側に「責めに帰すべき事由」がない場合には、民法536条第2項の規定に基づいて使用者側に当初の入社予定日以降の賃金の支払いを求めることが出来なくなってしまいます。
たとえば、「原材料の不足」や「交通・流通機関のマヒ」「機械の故障や点検」「監督官庁の臨検や調査」といった原因で入社時期の繰り下げや採用延期がなされた場合には、これらの原因は使用者(会社・雇い主)に直接の原因があるわけではありませんから、民法536条第2項の規定に基づいて使用者に対し当初の入社予定日以降の賃金を支払いを求めるのは困難になってしまうでしょう。
しかし、このような使用者(会社・雇い主)に直接の原因がないような理由に基づく入社時期の繰り下げや採用延期の場合であっても、使用者は労働基準法第26条の規定に基づいて、当初の入社予定日以降の賃金を支払うことが義務付けられることになります(労働基準法第26条)。
この点、労働基準法第26条でも「責めに帰すべき事由」と記載されていますので、「原材料の不足」や「交通・流通機関のマヒ」「機械の故障や点検」「監督官庁の臨検や調査」などといった使用者に直接的な原因がないような理由の場合には、労働基準法第26条にいう「責めに帰すべき事由」にあたらないのではないかとも思えます。
しかし、最高裁判所の判例によれば、労働基準法第26条の休業手当の規定は労働者の最低限の生活を保護するために最低でも平均賃金の6割を罰則(30万円以下の罰金※労働基準法第120条)をもって確保するために設けられた規定であって、民法536条第2項の責任を軽減する趣旨で規定されたものではなく、民法536条2項における「責めに帰すべき事由」より広く使用者側に起因する経営、管理上の障害を含むものと解釈されています(ノース・ウエスト航空事件・最高裁昭和62年7月17日)。
そのため、天災事変などの不可抗力でもない限り、労働基準法第26条における「使用者の責めに帰すべき事由」に該当すると考えるべきですから、たとえ「原材料の不足」や「交通・流通機関のマヒ」「機械の故障や点検」「監督官庁の臨検や調査」などといった使用者に直接的な原因がないような理由とした入社時期の繰り下げや採用延期であったとしても、使用者は労働基準法第26条に基づいて当初の入社予定日以降に支払うべき給与のうち平均賃金の60%以上の賃金を支払う必要があるということになります。
(※採用の延期について使用者側に直接の原因がある場合には前述したように使用者は内定者にたいして延期期間中の賃金の100%を支払う義務があるのが原則です)
以上のように、たとえ「原材料の不足」や「交通・流通機関のマヒ」「機械の故障や点検」「監督官庁の臨検や調査」などといった使用者に直接的な原因がないような理由であったとしても、労働者は使用者に対して当初の入社予定日以降の賃金のうち平均賃金の60%にあたる賃金の支払いを請求することが出来るということになります。
(※なお、労働基準法は強硬法規ですので、仮に就業規則や内定通知書、個別の労働契約書に60%以下の平均賃金しか支払わないなどと記載されていたとしても、内定者は平均賃金の60%の賃金を請求することが可能です。)
入社予定日以降の賃金のを支払わない場合の対処法
以上のように、会社の都合で入社予定日の繰り下げや採用の延期がなされた場合には原則として入社予定日以降の賃金を全額請求することが出来ますし(※ただし就業規則等で平均賃金の60%まで減額されていることもある)、仮にその原因が会社側に責任のないものであったとしても、その理由が天災事変など特別なものでない限り平均賃金の60%までは入社予定日以降の休業手当の支払を求めることが可能です。
しかし、ブラック企業や法令の遵守に積極的でない企業では、そのような法律の規定に反して入社予定日の繰り下げや採用の延期を行った場合であっても当初の入社予定日以降の賃金(又は休業手当)を支払わない場合も多いようです。
そのため、内定者が企業から入社時期の繰り下げや採用延期を受けた場合には、以下のような方法を用いて内定者が自ら企業に対して当初の入社予定日以降の賃金(又は休業手当)の支払いを求めていくとが必要となります。
(1)未払い賃金(休業手当)の支払請求書を送付する
会社の都合(原料不足など会社側に直接の原因がない理由も含む)で入社予定日の繰下げや採用延期がなされたにもかかわらず、当初の入社予定日以降の賃金(または休業手当)が支払われない場合には、会社に対して書面で当初の入社予定日以降の賃金(休業手当)を支払うよう請求するのも一つの方法として有効です。
口頭で「支払え」と請求して支払わない場合であっても、文書(書面)という形で改めて正式に請求すれば、雇い主側としても「なんか面倒なことになりそう」と考える可能性がありますし、内容証明郵便で送付すれば「裁判を起こされるんじゃないだろうか」というプレッシャーになりますので、当初の入社予定日以降の賃金(休業手当)に関する支払請求書を作成し、内定を出した企業に対して送付するというのもやってみる価値はあるでしょう。
なお、この場合の請求書の記載例についてはこちらのページに掲載していますので参考にしてください。
▶ 採用延期(入社日の繰下)における延期期間中の賃金の請求書
(2)労働基準監督署に違法行為の是正申告を行う
前述したように、会社側が入社予定日の繰下げや採用延期を行う場合、たとえその原因が「原材料の不足」や「交通・流通機関のマヒ」「機械の故障や点検」「監督官庁の臨検や調査」などといった使用者に直接的な原因がないような理由であったとしても、天災事変などの不可抗力でもない限り、労働基準法第26条における「使用者の責めに帰すべき事由」に該当すると考えられますから、会社は労働基準法第26条に基づいて当初の入社予定日以降に支払うべき給与のうち最低でも平均賃金の60%以上の賃金を支払う必要があります。
そのため、仮に内定を出した会社が「入社時期の繰下げ(採用延期)の原因は会社側に直接責任があるわけではないから実際に入社した日以降の賃金しか賃金は支払わない」と主張して当初の入社予定日以降の休業手当を支払わないような場合には、その会社は労働基準法第26条に違反する違法な会社ということになりますから、労働基準監督署に違法行為の是正申告を行うことが可能となります。
この是正申告に基づいて労働基準監督署から臨検や調査が行われるようであれば、会社側が違法性に気付いて(あるいは監督署の指導に従って)当初の入社予定日以降の賃金(休業手当)を支払うことも期待できますので、労働基準監督署に違法行為の是正申告を行うというのも問題解決方法の一つとして有効ではないかと思われます。
なお、この場合に労働基準監督署に提出する違法行為の是正申告書の記載例についてはこちらのページに掲載していますので参考にしてください。
▶ 採用延期期間中の賃金(休業手当)未払いに関する労基署の申告書
(3)労働局に紛争解決援助の申立を行う
全国に設置されている労働局では、労働者と事業主の間に発生した紛争を解決するための”助言”や”指導”、”あっせん(裁判所の調停のような手続)”を行うことが可能です(個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律第4条第1項)。
この点、事業主が入社時期の繰下げや採用延期を行った場合に当初の入社予定日以降の賃金や休業手当を支払わないという場合には、事業主と労働者との間に”紛争”が発生しているということになりますので、労働局に対して紛争解決援助の申立を行うことが可能となります。
労働局に紛争解決援助の申立を行えば、労働局から必要な助言や指導がなされることになりますので、事業主側が労働局の指導等に従うようであれば当初の入社予定日以降の賃金(休業手当)が支払われることも期待できるかもしれません。
なお、この場合に労働局に提出する紛争解決援助の申立書の記載例についてはこちらのページに掲載していますので参考にしてください。
▶ 採用延期期間中の賃金が支払われない場合の労働局の援助申立書
(4)弁護士または司法書士に依頼する
前述した請求書を送付する方法や労働基準監督署に対する違法行為の是正申告、労働局に対する紛争解決援助の申立を行っても使用者が当初の入社予定日以降の賃金(休業手当)を支払わない場合には、弁護士や司法書士に依頼して示談交渉で請求を行ったり、裁判などを利用して入社予定日以降の賃金(休業手当)の請求をするしかないでしょう。