「内定者研修(入社前研修)」とは、企業が内定や内々定を出した入社予定者に対して行う社内研修のことを言います。
この内定者研修(入社前研修)では、社会人としての基本マナーだけでなく入社後に従事する業務に必要な知識などを習得し、即戦力として就労できるようにすることを目的として行われることが多いようです。
この内定者研修(入社前研修)は、一見すると社会人として新しくスタートする新卒者にとって必要不可欠なもののようにも思えますが、実際には法律的に問題があるケースも見られます。
そこで今回は、内定者研修(入社前研修)には法律上どのような問題があるのか、といった点について考えてみることにいたしましょう。
出席が義務付けられている内定者研修(入社前研修)には法的な問題がある
内定者研修(入社前研修)が法的な問題を生じさせる代表的なケースとしては、たとえばその内定者研修(入社前研修)への参加が義務付けられている場合が挙げられます。
内定者研修(入社前研修)への参加が内定者に義務付けられている場合には、会社が何の根拠があって研修への参加を強制できるのか、という点が問題となるのです。
なぜなら、「内定」の性質は「入社予定日を就労開始日とする解約権留保付きの労働契約(雇用契約)」と解釈されていますが、たとえ入社予定日において入社することが確定的に予定されている内定者や内々定者であっても、実際に入社予定日が到来するまでの間は、就労を開始しなければならない労働契約上の義務が発生していないと解されますから、会社がその内定者との間で締結された労働契約に基づいて研修への出席を強制できる権限を有していないと考えられるからです。
研修といえども、それが内定者(内々定者)を対象としたものであれば、それは入社後の業務に関することになるのが通常ですから、内定者研修(入社前研修)は「業務」の一環であると考えられるでしょう。
内定者研修(入社前研修)が「業務」であるならば、本来は正式に就労が開始される入社予定日後でなければ出席を強制できないはずですから、会社が研修への出席を強制しているとするならばそれは労働契約上の根拠なくして研修への出席を強制しているということになります。
研修への参加が”強制”でなくとも、出席しないことで何らかのペナルティーが科される場合は実質的に”強制”と同じ
また、内定者研修(入社前研修)への参加が内定者の任意となっている場合でも、参加しない内定者に一定のペナルティーが科される場合には、その内定者研修(入社前研修)は実質的に出席が”強制”されているのと同じことになります。
企業によっては、内定者研修(入社前研修)に出席しない内定者(内々定者)に対し、入社した後の配属や給与額等について不利益を与えたり、場合によっては内定を取り消すなどの処分をとる場合がありますが、そのような場合には、たとえ研修への出席が”任意”とされていたとしても、ペナルティーが科されることを恐れて研修への出席を拒否できないでしょう。
そうなると、たとえ研修への出席が”任意”とされている場合であってもその実質は”強制”と何ら変わりありませんから、前述したのと同じように「法律的な根拠なくして研修への出席を強制している」という問題が生じてくることになります。
研修への参加が”強制”でなく、参加しないことでペナルティーが科せられない場合でも、内定者の立場としては出席を拒否できない
仮に研修に出席しないことでペナルティーが科せられない場合であっても、内定者(内々定者)の側からすれば「出席しないと査定に響きそう」などと思うのが通常でしょうから、内定者研修(入社前研修)が行われている限りその出席を拒否することは心情的に考えて無理でしょう。
そうなると、内定者研修(入社前研修)を行う企業では、仮にその研修への参加が任意であったとしても、事実上は内定者(内々定者)全員が出席を強制させられていると考えることもできますので、内定者研修(入社前研修)を行うこと自体が「法律的な根拠なくして研修への出席を強制している」ということになる可能性があるとも言えます。
研修への出席が実質的に強制ならば”タダ働き”と同じ
また、内定者研修(入社前研修)への出席が実質的に強制となっていて義務付けられているのであれば、その研修に出席している状況に対して賃金が支払われない点も問題です。
内定者が内定者研修(入社前研修)で業務に関する研修を受ける際に、その研修への出席が義務付けられる場合(※事実上出席が義務付けられている場合も含む)には、その研修は「業務」の一環であり、研修期間中は会社の指揮命令下に置かれることになりますから、その研修に出席している状況は「働いている」のと同じ状況になります。
なぜなら、会社の指揮命令下に置かれている時間は、たとえそれが実際に”本来の業務”を行っていない時間であったとしても法律上全て「労働時間」となるからです。
▶ 作業の準備や掃除、着替えや準備体操の時間は労働時間となるか?
また、内定者研修(入社前研修)に出席する内定者に仕事を教えることによって生産性を向上させ会社の利益が増大する結果になるのですから、「内定者が研修に出席して仕事を覚えること」は「会社に利益を生み出すこと」に他ならず、「労働」といえることに異論はないでしょう。
会社が労働者を指揮命令下に置いている場合には、その会社はその労働者が指揮命令下に置かれている時間(労働時間)に対して労働の対価となる賃金を支払わなければなりません。
それにもかかわらず、内定者研修(入社前研修)への出席に賃金が支払われることなく出席が義務付けられている状況は、単なる”タダ働き”をさせられているのと何ら変わりありません。
江戸や明治時代であれば一人前になるまで無給で働かされる「滅私奉公」も認められたかもしれませんが、法の支配が及んでいる現代の民主国家ではそのような封建制度的な搾取は認められません。
業務に必要な「研修」は本来入社後に行うべきもの
前述したとおり、内定者研修(入社前研修)は「業務」の一環というべきものであって、それに出席することは「労働」と判断されるのですから、内定者への研修は本来、入社した後に新人研修として行われるべきものといえます。
入社”後”に「業務」として研修を行い、研修が終わった段階で会社の戦力として業務に従事させればよいだけの話なのですから、何も入社前に内定者に研修を受けさせる必要性は本来ないはずです。
仮に入社と同時に即戦力として従事させたいのであれば、新卒ではなく中途採用で経験者を募集すれば済む話でしょう。
それにもかかわらず、新卒者を採用したうえで入社前に研修を受けさせるということは、中途採用よりも安い賃金で雇い入れた新卒者(内定者)を、その内定者のタダ働きという犠牲のもとに中途採用者と同等の能力に向上させているにすぎません。
中途採用者を雇い入れると支払う賃金が高くなりますから、その分を節約するためにより賃金の安い新卒者に内定を出して強制的に入社前研修を受けさせ、即戦力にしているだけなのです。
なぜ企業は内定者研修(入社前研修)をやりたがるのか?
以上のように、内定者研修(入社前研修)は法律的に様々な問題が内在しているものといえるのですが、内定者研修(入社前研修)を行っている企業は数多く存在しています。
ではなぜ、法的に問題のある内定者研修(入社前研修)を企業は実施したがるのでしょうか?
答えは簡単です。
入社後に研修を行うと、その分の賃金が発生してしまうからです。
新人研修を内定者が入社した後に行う場合は、その新入社員が業務に携わることができるようになるまで数か月間はその新入社員は給料を受け取るだけで何ら会社に収益を発生させません。
しかし、新人研修を入社前研修として入社する前に前倒しして行っておけば入社と同時に即戦力として働かせることができますから、入社後には給料を支払った分だけ会社に収益をもたらすことができるでしょう。
このように、会社の側からしてみると、入社後に研修を行った場合は、新入社員が戦力となるまでの期間に支払わなければならない給料が”利益を発生させない経費”として発生してしまいますから、その”利益を発生させない経費”を抑えるために入社前に前倒しして研修を行っているのです。
入社前に研修を行ってしまえば、本来支払わなくてはならない”利益を発生させない経費(新入社員が戦力となるまでの期間支払わなければならない給料)”を支払わなくて済む(※法律上は入社前の研修でも賃金を支払わなければなりません!)ことから、内定者研修(入社前研修)を実施する企業が数多く存在しているのです。
内定者研修(入社前研修)をする企業はブラック企業か?
以上のように、企業の行う内定者研修(入社前研修)は、出席が内定者の任意とされている場合であっても事実上出席が強制されているということが言えますので、その研修は「業務」であり、その研修への出席は本来「賃金」が支払われるべき「労働」を無償で(タダ働きで)提供しているということになります。
もっとも、内定者研修(入社前研修)を実施すること自体は法律で禁止されているものではありませんし、入社前の顔見せや勤務先の工場見学など社会一般の良識の範囲内で受忍することができる程度の研修であれば「労働」とは言えませんから、企業が内定者研修(入社前研修)を行うこと自体は何ら問題がないでしょう。
しかし、前述したように、業務の一環として本来ならば入社後に行われるべき研修を内定者に強制しているような内定者研修(入社前研修)は、単に会社が社員教育に必要な経費を削減するために内定者の”タダ働き”という犠牲の元で雇用関係上会社より弱い立場にある内定者を搾取するために実施しているに過ぎないといえるのではないでしょうか?
▶ 内定者研修の目的が実務の習得ならブラックの確率は上がる?
勿論、このような内定者研修(入社前研修)を行っている企業であっても、入社後には同業他社よりも格段に多い賃金を支払っている場合があるかもしれませんので、「内定者研修(入社前研修)をする企業はブラック企業か?」と問われても一概にすべての企業がブラック企業だと断定することはできないでしょう。
しかし、もし仮に自分の息子や娘が内定をもらった会社が内定者研修(入社前研修)を行っている企業であったとするならば、
「その内定は辞退して他の会社を探しなさい」
と厳しく諭すことになるのは間違いないでしょう。