給料は実際に労働した時間である「実労働時間」に対して支払われることになります。
この「実労働時間」とは、通常は「実際に労働した時間」のことをいい「始業時間から終業時間(または残業時間)まで」の時間を指すことが多いでしょう。
ところで、皆さんも経験があると思いますが、会社の上司や責任者から「始業前に出金して作業準備をしろ」とか、「終業時間の後に事務所の掃除をしろ」とか言われたことがあると思います。
このように、会社で決められた所定労働時間以外にやらされる「準備」や「雑用」の時間については、残業代や早朝出勤手当が支払われることはないでしょう。
しかし、このような「準備」や「雑用」の時間なども会社の指示に従って働いているのですから「実労働時間」に含めて、「その時間に対する残業代や早朝出勤手当を支払うべきではないか?」という疑問が生じます。
そこで、今回は会社の所定労働時間以外に行われる雑用や準備のための時間は「実労働時間になるか」、いいかえれば「就業時間以外の雑用や準備時間についても賃金が支払われるか」という問題について考えてみることにいたしましょう。
労働時間とは?
労働時間とは、「働いた時間」のことですが、この「働いた」という言葉の意味が皆さんはお分かりになりますでしょうか?
「働いた」ということは「仕事をした」ということになると思いますが、一概に「働いた(仕事をした)」といっても、たとえば「仕事が終わった後の事務所の掃除」は「仕事」に含まれるのか?といった疑問が生じますよね?
「事務所の掃除」をしたところで会社の利益には直結しないため、「自分たちが汚した事務所を掃除するのは当たり前だ」という理屈でその時間に対する残業代は支払われない会社が多いでしょう。
しかし、「掃除」や「準備」なども会社の仕事のために必要な作業であって、「仕事」の一環として行っているのは明らかです。
この「労働時間」に含まれる「仕事」がどのようなものが含まれるかについては明文化した法律はありませんが、最高裁判所の判例では
「労働者が使用者(雇い主・会社)の指揮命令下に置かれている時間」
は全て「労働時間」になると判示されていますので、会社の指揮命令下に置かれている状況にある時間は全て「労働時間」に当たるというのが法律的な考え方になります(三菱重工業長崎造船所事件:最高裁平成12年3月9日)。
会社の「指揮命令下」に置かれているか否かの判断基準
労働時間の基準となる会社の「指揮命令下」に置かれているか否かの基準は、一般的には「会社(上司)の命令が有るか無いか」で判断されるでしょう。
その行っている業務が「会社(上司)」から命じられたものであり、その業務をすることが、義務づけられているような場合には、その業務を行っている時間については会社の「指揮命令下」にあるとされ「実労働時間」に含まれることになります。
「指揮命令下」にあるか否かは「客観的」に決まる
また、この会社の「指揮命令下」にあるかどうかは「客観的」に決定されます。
「客観的」に判断されるとはどういうことかというと、会社側の取り決めで一律に判断されるのではなく、その準備や雑用などを命じられた際に
「使用者(雇い主・会社)から義務付けられ、または、これを余儀なくされた」
かどうかで判断されるということです。
すなわち、たとえ会社との「労働契約(雇用契約)」や「就業規則」、「労働協約」などの定めによってその「準備や雑用など」が業務に含まれない場合であっても、会社や上司から命じられたり義務付けられたりしている場合には「実労働時間」に含まれるということになります。
「雇用契約書や就業規則にその準備(または後片付け)作業が業務とは書いてないんだから、その作業については賃金は支払わないぞ」
と会社が言ったとしても、会社側がその準備行為や後片付けを「命じ」ていたり「義務づけ」られたり、その業務を行うことを「余儀なくされている」のであれば、判例上はその業務は「実労働時間」に含まれることになります。
「実労働時間」に含まれる準備や後片付けなどの具体例
以上のように、実際に働いた時間である「実労働時間」は、会社の就業規則や雇用契約書で一概に決まるものではなく、その業務を行うことが会社(上司)から「義務づけられ(命じられ)」または「余儀なくされた」場合かどうかで判断されます。
具体的には次のようなものが「義務づけ」られているような場合には、「実労働時間」として判断されるでしょう。
- 作業服に着替える時間および帰宅時に作業服を脱ぐ時間
- 作業前の準備体操(ラジオ体操)の時間および準備体操の場所までの移動時間
- 命綱・ヘルメットなど保護具の着脱時間
(1) 作業服に着替える時間・帰宅時に作業服を脱ぐ時間
作業を作業着で行うことが義務付けられている会社の場合は、その作業着に着替える時間または帰宅時に作業着から私服に着替える時間については、「実労働時間」となります。
したがって、多くの会社で行われている「始業時間までに作業着に着替えて現場に整列するように」などという指示は、労働基準法違反となります。
労働基準法上は、始業時間以降が労働時間となりますので、始業時間が始まってから着替えを行うのも認められますし、始業時間の前に作業着から私服に着替え、私服に着替えた後にタイムカードを押すという行為も、法的には全く正当な行為となります。
(2)作業前の準備体操(ラジオ体操)の時間・準備体操の場所までの移動時間
また、作業前に準備体操が義務付けられている会社の場合は、その準備体操の時間も実労働時間となります。
また、その準備体操を一定の場所で行うと決められている場合には、その場所に移動する時間についても実労働時間ということになります。
そのため、タイムカードを押してから作業着に着替え、準備体操の行われる場所まで移動してから準備体操を始めるという行為も法的には「遅刻」ということはありませんので、「始業時刻前に準備体操を行いそれに遅れたものは遅刻となる」とする会社は労働基準法違反となります。
(3)命綱・ヘルメットなど保護具の着脱時間
命綱やヘルメットなど保護具を必要とする業務の場合はその着脱時間についても実労働時間となります。
なお、命綱やヘルメットは生命身体を守るために必要な器具となりますので、たとえ会社側がその命綱やヘルメットの装着を義務づけていない場合であっても、一般的に見ればその業務に命綱やヘルメットが必要と判断されるようなものである場合には、その着脱に要する時間は「実労働時間」と判断されることになると考えられますのでご注意ください。
実労働時間にあたるなら、その時間の賃金が支払われなければならない
以上のように、たとえ作業着への着替えや作業の準備、準備体操の時間であっても、それが会社から命じられ、またはすることを余儀なくされているような場合には、その時間は「実労働時間」ということになります。
実労働時間になるということは、その時間については会社側が賃金を払わなければならないということになりますので、始業時間前にそのような時間を設けている場合には、早朝手当を支払わなければなりませんし、就業時間後に設けている場合には、その時間に対する残業代を支払わなければならないということになります。
なので、もし自分が勤めている会社に「始業時刻前に作業着に着替えておけ」とか「終業時刻後に事務所の掃除をしろ」とかいう決まりがある場合には、「その時間に対する賃金を支払え」と会社に請求できることになります。
準備・着替え・清掃・体操などの時間に時間外手当が支払われない場合の対処法
準備・着替え・清掃・体操などの時間に時間外の割増賃金が支払われていない場合には、以下の方法で会社に残業代の支払いを求めることが必要です。
(1)会社に準備や着替え、清掃、体操の時間についても賃金を支払うよう請求書を郵送する
会社や上司に時間外手当を支払うよう求めても相手にされない場合は準備や清掃時間についても時間外手当を支払うよう求める申入書を作成し、会社に郵送してみましょう。
≫ 準備や掃除・着替等の時間外手当の支払請求書【ひな形・書式】
内容証明郵便などで請求書を送付すれば、会社側も「このまま放置して監督署などに相談しに行かれたら面倒かも」と考えて案外簡単に時間外手当を支払うこともありますので、書面という形で請求するのも一つの手段として有効と思われます。
(2)労働基準監督署に違法行為の是正申告を行う
前述したように、たとえ準備や清掃、体操の時間といってもそれが会社の指示で行われている場合には全て「労働時間」として賃金の支払い義務が発生しますから、これらの時間に時間外手当(割増賃金)を支払っていない会社(雇い主)は、時間外労働をさせた場合には割増賃金を支払わなければならないと規定された労働基準法の第37条1項に違反することになります。
労働基準法に違反する会社に対しては労働基準監督署に違法行為の是正申告を行うことができ、労働基準監督署が臨検や調査を行うこともありますから、労働基準監督署に違法行為の是正申告を行うことで会社が違法行為を改善し、準備や清掃などの時間についても割増賃金を支払う可能性があるでしょう。
そのため、もし会社が準備や着替え、清掃などの時間について時間外手当を支払わないというときは労働基準監督署に違法行為の是正申告を行うのも解決方法の一つとして有効と考えられます。
なお、労働基準監督署に違法行為の是正書の記載例については、こちらのページを参考にしてください。
≫ 準備や掃除時間の賃金不払の労働基準監督署の申告書の記載例
(3)労働局に紛争の解決に関する援助の申立を行う
全国に設置された労働局では、労働者と事業主の間で紛争が発生した場合にはその紛争の解決に向けた助言や指導、あっせん(調停のようなもの)を行うことが可能です。
準備や清掃、着替えや体操の時間に会社が時間外手当を支払ってくれないという問題も労働者と事業主の間に”紛争”が発生しているということになりますから、労働局に”紛争解決援助の申立”を行うことができます。
労働局に紛争解決援助の申立を行い、労働局から会社に対して”助言”や”指導”が行われれば、会社がそれまでの姿勢を改善し、準備や清掃、着替えなどの時間についても時間外手当(割増賃金)を支払うようになる可能性もありますので、労働局に援助の申立を行うのも解決方法の一つとして有効だと思われます。
なお、労働局に対する紛争解決援助の申立の申立書の記載例についてはこちらのページを参考にしてください。
≫ 準備や掃除時間の賃金不払いに関する労働局の援助申告書の記載例
(4)ADR(裁判外紛争解決手続)を利用する
ADRとは裁判外紛争処理手続のことをいい、弁護士などの法律専門家が紛争の当事者の間に立って中立的立場で話し合いを促す裁判所の調停のような手続きです。
当事者同士での話し合いで解決しないような問題でも、法律の専門家が間に入ることによって要点の絞られた話し合いが可能となることや、専門家が間に入ることで違法な解決策が提示されることがないといったメリットがあります。
会社が準備や着替え清掃などの時間について時間外手当を支払わないという問題もADRを利用して話し合いをもつことで会社側が姿勢を改善し、残業代を支払うようになるかもしれません。
なお、ADRは裁判所の調停よりも少ない費用(調停役になる弁護士などに支払うADR費用、通常は数千円~数万円)で利用することができるため、経済的な負担をそれほど感じないというメリットもあります。
なお、ADRの利用方法は主催する最寄りの各弁護士会などに問い合わせれば詳しく教えてくれると思いますので、興味がある人は電話で聞いてみると良いでしょう。
弁護士会…日本弁護士連合会│Japan Federation of Bar Associations:紛争解決センター
司法書士会…日本司法書士会連合会 | 話し合いによる法律トラブルの解決(ADR)
(5)弁護士などの法律専門家に相談する
労働基準監督署への違法申告や労働局での話し合いなどでも解決しない場合には、弁護士などの法律専門家に相談し、通常の民事訴訟や労働審判、裁判所における調停などの手続きを利用して会社に準備や着替えなどの時間で発生した時間外手当(割増賃金)を請求していくほかないでしょう。
弁護士などに依頼するとそれなりの報酬を支払う必要がありますが、その報酬以上に時間外手当が発生している場合には裁判などをするメリットもあるでしょう。
なお、裁判によって時間外手当を請求する場合には不払いとなっている残業代のほかに”付加金”という不払いになっている金額と同額の制裁金も請求することも可能です。
そのため、裁判で時間外手当を請求する場合には、示談交渉などで請求する場合の2倍の金額を請求できることになりますので、勝訴する可能性が高い場合には弁護士などの専門家に裁判を行ってもらうと会社が付加金を支払うことを嫌って早期に和解に応じてくることも期待できるでしょう。