『転籍命令を拒否することはできるのか?』のページでも詳細に解説していますが、人事異動のうち元の会社との労働契約を解約する(退職扱いとなる)ことになる「転籍」の場合には、基本的にその転籍の対象となった労働者の個別の同意のない限り、会社はその労働者に転籍の命令を出すことはできません。
個別の労働者の同意を得ずに会社が「転籍」を命じた場合には、仮に就業規則などに「転籍を命じることが出来る」という記載があったとしても、そのような転籍命令は無効と判断されるのが通常です。
もっとも、労働者がその転籍命令に承諾した場合には労働者の同意があったものとしてその転籍命令は適法となりますから、その承諾した労働者は命令に従っていったんその会社を退職し、転籍先の会社との間に労働契約(雇用契約)を結び直したうえで転籍先の会社の社員として就労を始めることになります。
しかし「転籍」はあくまでも元の会社との労働契約(雇用契約)を解約(退職)したうえで転籍先の会社との間で改めて新たに労働契約(雇用契約)を結ぶものですから、必ずしも従前の契約関係がそのまま転籍先の会社に引き継がれるというわけではありません。
そのため、転籍の対象とされた労働者が転籍の前後でどのように労働条件が異なることになるかという点を理解しないまま転籍命令に承諾してしまうと、転籍先の会社との間で労働条件等の認識に不一致が生じてしまい、思わぬトラブルに巻き込まれてしまうことも否定できません。
そこで今回は、会社からの転籍の辞令に同意(承諾)して転籍に応じる場合には具体的にどのような事項について注意した方が良いかといった転籍を承諾するうえでの注意点などについて考えてみることにいたしましょう。
労働条件の違いについて確認すること
前述したとおり「転籍」は従前の会社との労働契約(雇用契約)をいったん解除(退職)し、転籍先の会社との間で新たに労働契約(雇用契約)を結び直すものになりますから、必ずしも従前の労働契約(雇用契約)がそのまま引き継がれるわけではありません。
したがって、仮に転籍を承諾する場合であっても、転籍先の会社との労働契約(雇用契約)がどのような内容で、従前の会社との労働契約(雇用契約)とどのような事項が異なるのかという点をよく確認しておく必要があります。
なお、次に挙げるような事項については労働者が受ける影響が大きいため特に注意すべきと思われます。
(1)従事する業務に関する事項
前述したように、転籍は転籍の会社との間で新たに労働契約(雇用契約)を結び直すものになりますので、従前の業務と同じ業務に就労することができるかどうかは、転籍の会社との労働契約(雇用契約)によって異なることになります。
たとえばX社で経理部に所属する労働者がY社に転籍になる場合には、必ずしもY社で経理の仕事に就くことが保証されるわけではなく、Y社との労働契約(雇用契約)の内容によっては営業職など従前とは異なる業務に従事させられる可能性も否定できません。
そのため、転籍に応じる場合には、転籍先の会社で具体的にどのような業務に従事することになるのかを十分確認することが必要でしょう。
(2)就労する場所(勤務地)に関する事項
就労する「場所」についても同様で、転籍に承諾した場合には転籍先の従業員として転籍先の会社で就労することになりますから、その就労場所が具体的に「何処」になるかという点も重要です。
また、その「場所」は具体的な「所在地」だけでなく、「本社」なのか「支店」なのかあるいは「工場」なのかといった点もかかわってきますので十分注意することが必要です。
従前の会社で本社の総務部に勤務していたとしても、転籍先との労働契約(雇用契約)によっては「工場」などの「現場」で就労することになる場合も有りますし、そのような場合には就労する「場所」だけでなく実際に従事する「業務」についても変更されることになりますから、転籍によって就労する「場所」が具体的にどのようになるのかといった点は十分に確認しておくようにしなければならないでしょう。
(3)職種や勤務地の限定の有無に関する事項
前述したような「職種」や「勤務地」についてはその「職種」や「勤務地」が限定されているかという点も確認しておいた方が良いと思われます。
『人事異動や配転命令を拒否することはできるのか?』のページでも詳細に解説していますが、労働契約(雇用契約)や就業規則などに「会社は労働者に職種(又は勤務地)の変更を命じることが出来る」と定められているような場合には、会社が個別の労働者の同意を得ずに「職種の変更(配置転換)」や「勤務地の変更(転勤)」を命じることも原則として認められると考えられています。
しかし、個別の労働契約(雇用契約)などでその労働者の「職種」や「勤務地」が限定されているような場合には、たとえ労働契約(雇用契約)や就業規則などに「会社は労働者に職種(又は勤務地)の変更を命じることが出来る」と定められている場合であっても、その個別の労働者の同意(承諾)がない限り、会社が労働者に「職種の変更(配置転換)」や「勤務地の変更(転勤)」を命じることはできません。
したがって、労働契約(雇用契約)に「職種」や「勤務地」の限定がなされているか否かといった点は、労働者が職種の変更(配置転換)や勤務地の変更(転勤)を受け入れなければならないかといった点で非常に重要ですので、転籍後の会社の労働契約(雇用契約)に「職種」や「勤務地」の限定がなされているかという点は確認しておく必要があります。
仮に転籍前の会社における労働契約(雇用契約)では「職種」や「勤務地」が限定されていたにもかかわらず、転籍後の会社との労働契約(雇用契約)では「職種」や「勤務地」が限定されていないような場合には、転籍後は会社から職種の変更(配置転換)や勤務地の変更(転勤)」が命じられてしまうと基本的にそれを拒否できなくなってしまいますので注意が必要です。
(4)賃金や賞与、退職金などに関する事項
毎月の賃金(給料)や賞与(ボーナス)、退職金に関する事項についてもよく確認しておく必要があります。
前述したとおり「転籍」は従前の会社との雇用契約を終了させて転籍先の会社との間で労働契約を結び直すものになりますから、転籍前の賃金や賞与、退職金がそのまま転籍後の会社に引き継がれるものではありません。
そのため、仮に転籍を承諾する場合であっても、転籍後に賃金や賞与、退職金などがどのようになるのか、という点は十分に確認しておく必要があります。
(5)休日や有給休暇等に関する事項
休日や有休休暇についても転籍前の会社で認められた休日日数や有休休暇日数が、転籍後の会社でも認められるとは限りませんので、転籍後の会社では休日や有休休暇がどのように与えられることになっているのかといった点はよく確認しておく必要があるでしょう。
(6)定年の時期に関する事項
定年の時期についても同様で、転籍前の会社で定められた定年が必ずしも転籍後の会社と同じわけではありませんので、転籍後の会社では定年がどのように扱われているのかといった点は十分に確認しておく必要があります。
(7)その他の事項
上記の事項はあくまでも一例にすぎません。それぞれの労働契約(雇用契約)に応じて転籍前と転籍後で具体的にどのような労働条件の変更が生じるかといった点は異なりますので、転籍を承諾する場合にはその条件にどのような違いが生じるのか十分に確認するようにしてください。
積立金などがある場合はその処理についても確認すること
また、転籍前の会社に積立金など預け入れた金銭等がある場合には、その会社に預けた金銭がどのように処理されるかという点も確認しておかなければなりません。
積立金には社員旅行の積立金など少額なものもあれば企業年金などその金額が高額になるようなものもありますので、そのような金銭等がどのように処理されるのかは非常に重要です。
前述したように「転籍」の場合は転籍前の会社との契約を解除し「退職」したうえで転籍先の会社に就職することになりますので、必ずしも転籍前の会社に積み立てたお金が転籍後の会社に引き継がれるものではありません。
したがって、仮に転籍を認める場合には、積み立てたお金が払い戻しされるのか、それとも転籍先の会社に引き継がれるのか、また転籍後の会社に引き継がれる場合であってもその全額が引き継がれるのかといった事項に関しては十分に確認しておく必要があるでしょう。
(※なお、転籍に際してそれまで積み立てた金銭等が転籍先に引き継がれることなく払い戻しもされないような場合には会社に対して払い戻しを請求することが出来ますが、その点については『社員旅行の積立金は退職する際に返してもらえるか?』のページで詳細に解説していますのでそちらを参考にしてください。)
転籍前の会社の云うことをそのまま信用しないこと
前述したように「転籍」は従前の会社との契約を解除し「退職」したうえで転籍先の会社に新たに就職することになりますので、「転籍前」の会社と「転籍後」の会社は全く別個の会社となります。
そのため、場合によっては「転籍前」の会社が云うことと「転籍後」の会社が云うことが異なる可能性もありますので注意する必要があるでしょう。
たとえば、在籍している会社から転籍の話が出た際に「転籍後も今の給料のままだから」といわれて転籍を承諾した場合であっても、転籍後の会社に確認してみると「給料は転籍前の会社の8割しか出せません」というような話になることも十分にあり得ます。
このような場合、転籍後の会社には転籍前の会社が告知した内容で労働契約(雇用契約)を結ばなければならない義務はありませんから、「転籍前の会社は〇〇と言っていたんだからその内容で契約しろ!」と要求したとしても転籍後の会社から拒否されてしまえば転籍後の会社の提示する条件を吞まない限り職を失ってしまうことになりかねません。
このように、悪質な会社によっては労働者に転籍を認めさせるために転籍後の会社の労働条件について不確かな内容を告知して労働者から同意(承諾)を得るケースが稀に見られますが、このように転籍前の会社の云うことを鵜呑みにして転籍に応じ退職してしまうのは非常に危険です。
そのため、会社から転籍の話があった場合には、転籍後の労働条件等がどのようになるかといった点については、転籍前の会社の云うことを鵜呑みにせずに、転籍後の会社に直接確認を取ることが必要でしょう。
転籍を承諾した場合に生じるトラブルを避けるには?
前述したように、転籍後の会社には転籍前の会社が労働者に説明した内容の労働契約を結ばなければならないという義務は生じませんから、仮に転職前の会社が説明した内容が事実と異なる場合には、転籍後の会社との間でトラブルが生じてしまいます。
このようなトラブルを未然に防ぐためには、転籍前の会社を退職する前に、転籍後の会社との間で労働契約(雇用契約)を結んでおいて労働契約書(雇用契約書)という書面で証拠を残しておくか、転籍前の会社と転籍後の会社と本人の3者が同じ場所で同時刻に協議を行い、転籍後の会社における労働条件について3者間で合意しておくしかありません。
弁護士に相談しておいてその協議の場に同席してもらうのが一番安全ですが、それができない場合には、その協議の場で契約書に署名捺印するのではなく、いったん持ち帰って弁護士などの法律専門家に確認してもらうのも一つの方法として有効でしょう。
いずれにせよ、転籍前の会社の云うことだけを鵜呑みにして退職し、転籍先の会社との間で契約の交渉を行うことは危険ですから、転籍の話が出た場合には、転籍先の会社が直接転籍後の労働条件等について承諾しない限り、転籍前の会社を退職してしまわないように注意するようにしてください。